アタイばっか

どうせ散るならこの場所で咲かせてみせよう恋心

反省して強くなる

私は今までずっと誰かに守られて暮らしてきました。
まあ、大まかに言えば親とバンドメンバーでしょう。
親は特殊な存在ですから今回は扱わないとして、バンドメンバーを軸に広く周りの音楽仲間について考えてみましょう。

高校生のとき、あるコピーバンドに入りました。
メンバーとの年齢差は近い人で10、遠い人だと20近いものだったと思います。
最初は警戒した母親がスタジオについてきたりもしましたが母親もすぐ理解を示してくれ、ライブは見に来たりしますが家族ぐるみで応援してくれるようになりました。
高校生の私に対してメンバーはいつも過保護なくらい優しく、だからこそ私は音楽で返せるものは返そうという風に考えるようになりました。
高校二年の秋で受験勉強のため脱退しました。大学に入れたらまたやろうと約束して。最後はメンバー全員とハグして、花束をもらったことを覚えてます。
だけど私はそのあと精神的に不安定になり、色んな思いをこじらせてしまい、もうこのバンドには戻れなくなりました。

高校二年になった頃このバンドのボーカルにインプロのバンドを組まないかと誘われ、参加しました。
ギターレスのフリーインプロバンドで、年齢層は少し若くてこの頃皆20代半ばだったと思います。
12月にライブをしました。私にとってこの日のライブは2010年頃のインディーズバンドシーンに1日だけ参加出来たような、とっても意義深いものになりました。
だけどこの頃から良くない兆候はありました。

この良くない兆候はというのと最初のコピーバンドをやめた理由は地続きのものなのですが、あまり詳しいことは控えます。
ただ一つ、多分周りに誤解されてる部分があって、
あの人が一方的に悪いと思ってる人がほとんどで、本人もそう認識してると思うのですが、
それは私の振る舞いによってそうさせてしまったもので、私もある程度望んでしたことなのに、あの人だけが悪いというような形になってしまって、訂正の仕様もなく、歯痒く思ってます。

ここからは大学生になってからです。
大学に入ると同時に二つのバンドで活動することになりました。
一つは最初のコピーバンドを見て声をかけてくださった、私がとても好きなバンドのコピーをしてるバンド(Aとしましょう。)
もう一つはインプロバンドのメンバーが「大学に入れたら一緒にやろう」と言ってくれて始めたオリジナルのバンド(Bとしましょう)。

Bのバンドから先に話をします。
Bのバンドは言ってしまえば先述の「あの人」がきっかけで加入したもので交流も多少あったのですが、
私は完全に「あの人」に対してトラウマを抱いてしまい、ライブを見に来てくれても存在を認知した途端パニックを起こすという体たらくでした。
私はメールを受信拒否していたため「あの人」に対する連絡手段がなかったのですが、おそらくバンマスのほうから控えてくれと連絡してくれてたんだと思います。
そんなことが何回か続いても見捨てずにいてくれました。
私はバンドに守られてたんです。
レコーディングでいくら私が理不尽なことになっても、ぶつかりはしたが見捨てないでいてくれた。
このバンドのメンバーはいつも私を守ってくれました。
「あの人」とは最近関係を戻せました。元々仲良すぎたのがよくなかったのですから、話は合います。近付きすぎなければ大丈夫だと思います。

Aのバンドはけっこうメンバーの入れ替わりが激しくて、という理由だけではないのですが、あまりライブを入れられません。
このバンドの後任のベースが自分でセッションを催したり自分のバンドを組んだりしてる人で、声をかけてもらえるようになりました。
ギターをサポートでお願いしようということになり、その人と仲良くなりたいと思って、某所のセッションイベントに通いはじめました。 
その後ややあって結局その人がバンドに入ることはなかったのですが、イベント自体に仲のいい人がたくさん出来た…と私は思ってるので、イベントには変わらず参加しようと思ってます。
しかし、このイベントにはなんだか問題がある…ように私には思えてしまうのです。
それは個人のものなのか、全体のものなのか、私にもまだ掴みあぐねているのですが。
私はそれを訴えました。そのあとのことは、きちんと覚えていません。泣いてたらしいですが思い出せません。ただ何人かの人とはもうやり直せないかもしれません。
そのあと色んな人と話しました。それで私は気づきました。誰も守ってくれないって。
当たり前です。メンバーでもないのにわざわざ守る義理なんてないって。
だけどなお悪いことに、私はこのときまで、自分がどれだけ周りに恵まれ守られてきたか、どれだけ甘えてたか、気づいてなかったんです。
だけどこうやって考えをあらためてみたら、強くなれる気がしてきました。
そうやって周りにフォローされなきゃいけない事態をまず招かないために、強く冷静に生きること。
メンヘラが当たり前じゃない人がこんなにいるんだってわかったので、それに耐えうる強さを持つこと。
そうやって、前より強くなることで、修復していきたいと思います。

精神病院のフィールドノート

mixiからの転載です。
【衝撃】閉鎖病棟を退院の日、他の患者さん達が入口に集まってきたのだけど、私は振り返る事が出来なかった・・・ : かぞくちゃんねる http://kazokuchannel.doorblog.jp/archives/48230120.html?p=2

長々書いといてあれなんですが若干閲覧注意気味です。

大学二年の後期、三ヶ月ほど精神科で入院していた。

精神科には解放病棟、閉鎖病棟保護室の三種類の部屋がある。

最初に入った解放病棟は昼間は出入り自由、面会も自由だった。
病院内にはコンビニと図書室があり、コンビニでテレビ誌を漁り図書室で漫画を借りた。
これを期に文学に触れるかと思い小説コーナーも見てみたけど、夏目漱石のこころしか置いてなかったのが印象的だ。
患者を刺激する本が置けないのはわかるがそれなら何故こころなのか。
解放病棟では個室で、携帯も持ち込み可だったので、暗い音楽を流し続け医者を威嚇したり、筋肉少女帯を聞いてトラウマで発狂したりした。
ここにいる患者はそれなりに出ていく人が多かった。閉鎖病棟から退院への足掛かりとして入る人も多かったらしい。

ある日入院生活のストレスで発狂した私はナースステーションに殴り込み、そのまま保護室で拘束された。
拘束は最初の数日で、そのあとは部屋から全く出られない期間、決まった時間と入浴時のみ出られる期間、と段階を踏んで出られるようになっていく。
ここでは何も持ち込めず、医者と看護師以外会話出来ず、無の時間が流れて行くばかりだ。
拘束が解かれてから保護室を出るまでの間、本当にすることがなくて、ひたすらベッドの周りをぐるぐる回っていた。
時間をもて余すのが苦手になったのはこれがきっかけだと思う。
ここでは他の患者との交流はない。精神科の看護師は基本的に素っ気なく、「これが人間扱いされないということなのかな」と思うようになった。
そんな環境で、薬に漬かり、私の精神?人格?は主張しなくなる。
元が敏感過ぎたのだろうから、まあ、生きやすくなったと思う。

保護室から脱出したあと、記事にあるような閉鎖病棟に移った。
私の病院は記事の病院よりは環境がよかったように思う。
携帯も預けておくことが可能で、親が面会に来たときに院内のタリーズで毎日LINEをチェックすることができた。
次第に外出出来るようになり、ヴィレバンやディスクユニオンで本を買い込み持ち込んだ。寺山修司の「青少年のための自殺学入門」をベッドサイドにちらつかせ医者を困らせた。
ここではそれなりに患者間の交流があった。
私より若い小中学生くらいの子がいるのが特徴だったと思う。
閉鎖病棟では夜な夜な誰かの泣き声叫び声呻き声が鳴り響いてるというのは日常だった。
小学生の女の子が暴れて拘束されて泣きわめくのは痛ましかった。
記事にもあるように、私より前からいて、きっと出ることはないんだろうなというような大人はたくさんいた。
そして患者同士はみんな優しいというのも大体は合ってたと思う。
それは異常者だけのコミュニティで煮詰まった挙げ句の傷の舐めあいだったのかもしれない。

この入院のおかげでニセモン、曇ヶ原ともに迷惑をかけまくったし二年次の単位を落としまくったため四年生で皺寄せを食らうことになりそうです。
でも見捨てないでいてくれた人がいて、なんとか今まで生きてます。

ブログのみ追記
思えばこのブログを始めたのも入院中、親に知られない吐き出し場が欲しくてだった。
拘束されてたためニズムツアー東京公演に行けず、医者に内緒で名古屋遠征したなんてこともありました。
関ジャニズムは入院中に出たアルバムで、「ゆ」を聞いてよく泣いてた記憶がある。

白井良明氏

まあムーンライダーズをきちんと聴いてるわけではないのですが。
すかんちとの諸作品やあがた森魚の「バンドネオンの豹」でのプレイが最も親しみあるものです。

幼き(11歳)の私が知るには渋すぎる名前だったと思います。
なんかいっぱい名前は載ってるけど、はっきり目についたのはわたし鏡のアレンジにクレジットされてたからでしょう。
ギターはアコースティックとエレキ両方録音されていて、アコギのみ安田氏も重ねてるとのことです。
おそらく後ろで流れてるストロークが安田氏なんでしょう。
萌えます。
ギターソロも素敵すぎます。
安田氏の極甘ポップセンス溢れるメロディーをうまく形にしてくれています。(今思うとすかんちにも通ずるかもしれない)
11歳当時の私はこの曲が大好きでした。

今聞くと、無責任ヒーローの出だしのフレーズが激マブですね(違ったらどうしよう、でもきっと氏のはず)

また関わってほしいな。ローリーさんと一緒とかで。無理かな。

こうやって見るとまだまだ聞かないといけないものがある気がする。ジュリーとか。
あと、日本印度化計画に関わってるのにびっくりした。あのシタールね。

クレジットを紐解く

ちょっとした野望からズッコケ大脱走、8uppers、関ジャニズムのクレジットを紐解いています(実は持ってるのがこれしかない)
今回は演奏陣のほうではなくスタッフのほうを主に。
こんなスタジオ使ってるんだ~とか妄想したり、アートワークの人はこんな大学出てるんだ~とか調べてます。
曲がりなりにも自分も(いや、メンバーにほとんどやってもらってるけど)音源作りに参加したことはあるので、いかに手がかかってるかよくわかりました。
面白い!

中居さんの件を受けて

安子にはずっと幸せであってほしい。
幸せなら恋愛禁止だなんて言うつもりはないけど、それゆえに身を滅ぼす恐れもあるからね。
嗜好品も、魅力を高めるのは事実だけど、体を傷めるのはよくない(お前が言うな感)
プライベートで何してもいいけど、苦しい思いをしてほしくない。

安子の表現が、人格が大好きでまだまだ高めてほしい、それを見届けて行きたいから。